靴で足を悪くしてしまっいる・・・と気付く。
多くの方が認識や常識と思い込んでいる事とはギャップ、隔たりが大きく、いつの時代かに突如として今までの認識や常識の危険を恐ろしく感じる時が来る事を感じます。
靴社会に限っては。
個人の中にはこれまで履いて来た靴、家に蔵われた壊れてもいない探し回り買い漁った靴の多く、それらの靴で悪くする経過を辿り現在に至り、悩みを深刻にして(大分、前から深刻に感じ探し回って)と、言う方は少なくは無く、身を以て意識、認識、これまでの靴の常識感を自分の思考が追い付かない方がよく来ます。
身体は随分と前にサインを出し、答えを教えて訴えているのですが、素直さ、正直さが身体に伴わない安易な思考、弱さに気付かないまま歳を重ね足の健康は歪んで強いられ続けてしまっています。
リスクと危険性を説明されない商業優先の社会。靴はその象徴に私は携わっていて感じます。
本来の靴の目的は人の健康を害する、健康
犯すものでは無いはずです。
そこが、人と合っていません。
自分の感じている事を大切に出来ない。
と言うか・・・
身体の痛みは明らかに靴を原因としている事を認めなかったり、認める思考よりも余計な考えから靴選びをされる方が靴で健康を害する傾向が強いです。
足に合わない、足に適切な環境が備わらない靴はリスクと危険がある事を多くの方は認識、常識化していません。
社会は文化、発展していますが、その感覚にいつまでも変わらない靴の文化はギャップ、隔たりの差をより深く大きくしています。
本質の無い事が健康に影響、原因している事が証明している事を身体は常にサインを出し、素直に感じてもらえる事を訴えています。
足は身体の中でも一番負荷、力、負担が物理的に強いられるところ。
あなたよりも身体は正直です。
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