靴に携わり気づく心、去る気持ち
靴を作る仕事は気づく人は気づき、
気づかない人は一生、気づかないまま靴に携わります。
気づく人、気づく心のある人は気づくまでのロストした時間、
失った時間と気づき続ける事に耐え切れず、
携わることをやめる方は少なくありません。
シューフィッターの資格に依存し、取得、
気づいた、何人かの方からメールをいただいたことがあります。
信じていた事、資格が意味を持たない事を感じ、
自分の知識ではどうにもならない事、
どうにかするには販売に携わっていても
既製品の靴で足に合う靴など無い現実にまるで
合うかのようにお客様から思われるプレッシャー。
合わせる技術も無いまま気づいた自分の心は
資格とこれまでの自分に悔いる思い、無責任さにさいなまれることを
強く感じながらこの仕事を続けていくことは・・・辛い。と。
無駄にした時間、あと戻り出来るのであれば
資格ん頼らず、おひとりお一人の足を大切にしたい。
と言う思いをやり直し、
靴を作成し、提供する道が一番、良識ある選択だったのでは・・・。と。
人の足に合わせる文化の無い靴の社会に携われば携わるほど
販売、資格では何もできない事を痛感し止めました。
そんなメールを。
本当はそういう方だからこそ、靴に携わってほしいのですが・・・
合わない靴を人に提供する事が勝った人に影響、リスク、危険が及ぶことを感じる心。
社会はそのことには無情にも流れ、靴を原因に健康被害を。
その表面化している問題に向かう靴社会の現状は虚しさを感じるのは当然だと思います。
人の事を思う気持ちを持ちながら去る。
辞めて行く気持ちも辛い事。
社会にとって利益となる人、心が失われていく事と
このような方からのメールで感じる事も辛いといつも感じます。
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